歴史・境内案内

歴史

hondou約350年前に創建されました。
その頃宇奈根に常光寺(1585年頃開山されたといわれる)というお寺があり、その隣村であったこの地域の人々が、常光寺に頼みこの寺をつくってもらったといわれています。通称、おおくら大仏妙法寺といい、正式名は東光山妙法寺といいます。宗派は日蓮宗です。
発起人は大蔵本村の村長さんだった安藤家です。その安藤家の旧住居は世田谷の文化財に指定されています。
昔、ここは石井戸といわれていました。近くの大蔵団地の所は崖になっていて、その崖から湧き水がでていました。石から水が出ていくる事、そしてこの地域にすんでいた石井氏の名前、両方兼ね合わせて石井戸と呼ばれたのです。

妙法寺境内案内

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おおくら大佛

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平成6年秋のお彼岸に完成。特徴は佛さまの大きさが高さ8メートル、重さ8トン、ブロンズ製である。
この大仏様は、光背に四菩薩をはいした久遠実成の本佛お釈迦様を現している。久遠実成の本佛とは、法華経の一番有り難い佛さまで、佛の命が過去から現在、未来へと永遠に続くことを表し、その佛さまを拝む人類の生命、そして地球上のすべての生きとし生けるものの命が永遠であることを説いたお釈迦様の姿である。
台座から一回転できるようになっている。朝9時から夕方5時までは、本堂の方向を向いた南向きになっている。夕方5時から翌朝9時までは世田谷通りの方向を向いていて、交通安全や世界平和を祈念している。もし貴方が大佛さまをお参りされるとかならず、大佛さまは貴方のほうを向いて見守ってくださいます。

法華門

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江戸初期、目黒碑文谷法華寺の庫裡の門として1615年以前から立てられていた。法華寺は、江戸初期、日蓮宗総本山身延山久遠寺のふれ頭として江戸10指に数えられる大寺であったが、元禄12年不受不施派弾圧の為、幕府の命により日蓮宗から天台宗に改宗させられ、現円融寺となった。法華寺18世日附上人(八丈島流刑)の代である。
明治30年、地元の角田氏が金200円でこの門を買い取り、昭和30年代に堀之内妙法寺へ奉納した。その後、いたみも激しく、堀之内での再建がむずかしい状態となっていた。
当時の前住職・小林日誓上人(元堀之内妙法寺山主)は生前、日附上人への敬慕の年篤く、その事蹟を顕彰し、上人流刑の地八丈島に一寺を創建。その縁をいただき、当東光山妙法寺は碑文谷法華寺ゆかりの門を堀之内より移築する運びとなった。時移り、昭和61年5月吉日、約400年以上前の日文谷法華寺の門を復元再建した。
高さ6㍍、間口3㍍、奥行き2㍍、木造・堂板茸。

久遠大佛殿

kuonおおくら大佛のしたの地下1階、地下2階は納骨堂になっています。将来の墓地不足と後継者のいない無縁仏の対策として作られました。妙法寺「久遠の会」にはいると、この納骨堂が利用できます。

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大蔵動物霊園

ookuraかけがえのない家族…無償の愛とやすらぎをくれた愛する家族の一員と゛輝く来世への旅立 ゛の儀式を大蔵動物霊園では、宗派を問わずいつくしみの心と、真心にて、お手伝いさせていただく事をお約束いたします
TEL 03-3417-0020

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本堂に飾られている刺繍画について

201309_03刺繍でできている作品です。
1986年(昭和61年)展覧会にて赤坂ムツ先生と一緒に撮らせていただいた写真にあります作品「空」は現在当寺の本堂に飾られています。 他3点「蓮華」「華」等も本堂に飾られておりますのでご参拝の折にはご覧ください。

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本堂須弥壇装飾画「白蓮」について

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東西南北の四方に、蕾から4日で落ちる花の経過 “蓮の一生” が10枚に表現されております。
金箔の上に描くという厳しい仕事でしたが、富田先生の手法である「特殊蛍光塗料」が使用され、夏の朧げな月明かりの下で光る蓮花も見事に表現されています。
>>詳細は富田勝彦先生のホームページへ